2014年12月23日火曜日

「無責任化」する保育事業主

平成26年10月24日(金)に行われた第19回子ども・子育て会議(リンク)の議事録では駒崎氏のみが子供の騒音について言及しているようだった。これも前回と同様引用して私見を述べてみたい。

駒崎委員: そして、認定こども園という問題に直接かかわりつつ、また認定こども園だけでなく多くの保育所、幼稚園にかかわることですけれども、前回も提起させていただきましたが、騒音問題に関してぜひ御検討いただきたいということを重ねて申し上げたいと思っております。
実 は、今、複数の基礎自治体の方とお話ししていく中で、保育課の担当者の方が悩まれていることの1つがまさに騒音問題なのです。住民の反対運動が過激化して いるという状況があって頭を悩ませています。例えば、私、資料に書きましたけれども、先日の産経新聞の報道では、こうしたタイトルで書かれています。「子 供の声は『騒音』か…脅迫、訴訟、保育所そばに『ドクロ』『般若』の看板まで」というようなタイトルで、要は逮捕者も出たという話なのです。東京都の国分 寺市ですが、認可保育所近くの路上で園児を迎えにきた保護者に手斧を見せ、地面に数回振り下ろすなどして脅迫したとして、近所の無職の男が暴力行為処罰法 違反の疑いで逮捕された。園児の声がうるさい、帰り道に近所のアパートに入り込んでいた、対応しないなら園児の首を切るぞなどと職員を脅したということを 言っています。
これは過激な事例ですけれども、実際これに似たような、近似するような事例というのはぼこぼこ挙がってきているのです。私どもの施設にもパイプ椅子を持って怒鳴り込んできている人とか出始めてきていて、既に常軌を逸している状況になっております。
こ うしたことに対して防音化支援の政策メニューをつくるであるとか、あるいは子どもの声を騒音とみなさないような、ドイツにありますけれども、特措法等を制 定していくということが必要なのではないかなと思いますので、まず第一歩として、こうしたことを検討する研究会みたいなものを発足していただけないかなと 切に要望したいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

以下私見として二点。

まず最初に住民の反対運動が「過激化」しているという表現について。
なにかの傾向が変わったというとき、提示しなければならないのは二つの時点での傾向であり、それらの比較によってはじめて可能であると考える。例えば「チンパンジーが高度に知性化した」というとき、過去のチンパンジーの集合と、現在のチンパンジーの集合の知性を比較し、それによってはじめて高度に知性化したということが出来る。特殊な天才チンパンジーの一例を挙げて、全体が高度に知性化したということはできない。駒崎氏はこれと同様の誤りを犯しているように見える。部分と全体との混同である。
「これに似たような、近似するような事例というのはぼこぼこ挙がってきている」ということのようだが、証拠が皆無である以上、その証言の真偽は不明というほか無い。野生にも天才チンパンジーはごろごろいるという証言が一体どれだけの意味を持つのか。確実な事実としての事例は逮捕者の出た一例だけのようである。また、本当に「常軌を逸している」状態にあるのならばなぜそれが報道に出ないのだろう。

次に、防音化支援を求める一方、子供の声を騒音とみなさないような法の制定を求めている点について。
この二つはまったく矛盾している。防音化が必要ならば、それは子供の声も騒音になりうるということではないのか。騒音でないならば防音など必要ない。逆に、防音が必要なほどの騒音があるならば、法で騒音としてみなさないとすることには大きな問題があるのではないか。
何故このような矛盾した要求を氏はするのだろうか。

 この時考えたいのは、保育園などにおける「子供の騒音」問題は、誰がそのコストを払うのか、という問題でもあるということである。神戸での保育園の騒音訴訟を担当する弁護士のブログ記事も参照して欲しい(リンク)。そのコストを近隣住民が払うのか、当事者である保育園の事業主あるいは利用者が払うのか、または社会全体でそのコストを負担していくのかという幾つかの選択肢が考えられる。

この点で、駒崎氏の姿勢は一貫している。
つまり防音化支援の政策メニューが必要ということであればそれはコストを社会全体で払うべきだということであり、「子どもの声を騒音とみなさないような」法が必要ということであればそれは苦痛を我慢させるという形でそのコストを近隣住民に押し付けるということである。共通するのは本来防音について責任を持つべき当事者である保育園の事業主という選択肢が存在しないということである。ここには当事者である事業主の責任意識はまるで感じられない。
あるいは駒崎氏の表現を借りれば「無責任化する保育事業主 」ということがいえるかもしれない。これが全体的な傾向でないことを祈るばかりである。

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